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利他学会議レポート:全体会「理工系大学のなかの人文社会系研究」
スピーカー:伊藤亜紗(司会)・中島岳志・若松英輔・磯﨑憲一郎・國分功一郎

2022.02.24

ついにこのときがやってまいりました。利他学会議すべての分科会が終了し、伊藤亜紗先生・中島岳志先生・若松英輔先生・磯﨑憲一郎先生・國分功一郎先生、というセンターメンバー5名のみで行われる、全体会の始まりです。あっという間にここまで来てしまった感じもありますし、もうずっとここにいるような気もします。みなさんはいかがでしょうか。

 

この会はZoomを使ったオンライン開催なので、みなさんがスマホやPCの画面の前にお集まりになっている、あるいはお茶やお菓子などを準備しておられる間、本番前の打ち合わせを少しだけ登壇者だけで行います。しかしどの会のこの時間も、段取りの確認などは何らなされないまま、ただ雑談をしているうちに「あ、始まる」という感じでCMへと移行するのでした。なかでもこの全体会はその最たるもので、

 

「もうここまで来たら終わりですね」
「合宿だと部屋をとりあえずチェックアウトして荷物をまとめてある状態」
「荷物をまとめる作業ですかね」
「あははは」
「じゃあそろそろ」

 

といった具合に、あっという間の時間でした。しかし、一応ウラの進行を任せていただいている身としましては、ここでみなさんの瞬間的な雑談を聞いてから会が始まる、ということが、心の準備運動として大変ありがたいものでして、これがあるからこそ、このあとスポットライト輝く舞台へと出ていくみなさんを袖から目撃する役割を果たせる、というものなのです。

 

さて、メンバーだけの時間が始まります。どんなお話が飛び出すのでしょうか。楽しみが胸から喉へと上がってきて顔からはみ出しそうになっている私と裏腹に、この最後のプログラム「全体会」は大変ひょうひょうと始まりました。

3つの分科会で出てきたキーワード

「この会は本当に合宿のようで、体育会系ずっしりした“やった感”を、今私たちは感じているところです。」伊藤先生の独特の温度感のコメントのあと、恒例のメンバー自己紹介を経て、まず伊藤先生が「印象的なキーワードやテーマ」についてみなさんに尋ねます。少しの沈黙も待たずに「では中島さん」と名指しすると、急遽振られた中島先先生は、驚きながらも見事にこの利他学会議を数行でまとめます。

「世の中では文系・理系と分かれているが、基本的には同じことをいろんな角度からしてきたんじゃないのかな、と思う」という総合コメントを述べた上で、中島先生は「1つのキーになっているのは、“コモンズ”あるいは“場”の問題」と指摘し、次のように続けます。

「分科会1では、三宅美博さんの“共創的な場で未来を共有することによって間が合う”ことが重要だというお話があり、三宅陽一郎さんは“東洋的な哲学からAIを捉え直すと、フッサールの間主観性や“あいだ”が大きな問題”になってくる、とおっしゃいました。分科会2では、塚谷裕一さん、井田茂さんによって“自分と他者の区別は非常にあいまい”であり、“それらが共有している空間や場とは何なのか”という問題が出てきた。エクスカーションでは、“実際に会っていない、遠く離れているのに何かを共有している”という、単なる空間的なものではない“場”が設定されていた。そして本日の分科会3でもやはり“コモンズ”の問題が大きくなってきました。」

6時間が300字ほどにまとまりました。この中島先生の脅威の要約力に立ち会ったみなさんも、きっと画面の向こうで私と同じ顔をしておられたのではないかと思いますが、ここで中島先生は、続けて次のように話します。

「我々が利他について期せずしてみんなで議論してきたことは、“利他の本質はうつわになること”、“自分のなかにスペースをつくること”、“他者を統御しようとするのではなく、他者やさまざまなものが入ってくる余地を残すこと”。そこから創発的に生まれてくるものとしての“利他”でした。」

今度は約1年を130字ほどにまとめた上で、中島先生は力強く、こう言い放ちました。

「“場”としての“私”、という問題がカギになる」

中島岳志
「場」というのは、この利他学会議で本当に何度も出てきたキーワードでした。「場をつくる、というと能動的な感じがしますが、今回の議論で出てきたのは“能動的不在”、“引き算”、“のりしろ”といった、スペースを空ける作業をすることで入ってくるもの」と伊藤先生は付け加えます。こういったキーワードもこれまでの利他研究会でたびたび出てきたものですが、それが今回は分科会1で初めてお話をうかがうゲストの方々、初めてのテーマからバンバン飛び出していて、最初から驚くほどの化学反応が起こりまくっているという印象でした。

「“無い”ことが何かを呼び寄せる力になってくる」

伊藤亜紗

定義することの危うさ

中島先生のまとめと伊藤先生の補足で十分全体は見えてきたとしつつ、若松先生が「あえて申し上げますと」と続けたのは、「“利他とは何か”ということが定義されないまま、みなさんの自説が展開されてきた、ということがとても印象的でした」というお話でした。「今回参加してくださったみなさんは、そんなふうには考えずにご自身の考えをお話しになられただけだと思うんですけど、それぞれの専門分野でお仕事をされている方が、開かれた形で、デリダが言うところの“解体”をしていくようにお話しくださった。」

そして若松先生はエクスカーションでの砂連尾さんとさえさんが言及された「存在にふれる」という言葉について、「私たちが日頃考える言葉とは違う、生きてきた結晶みたいな言葉だった」と話します。このあと磯﨑先生も「この二日間でダントツに印象に残ったのは、エクスカーションでさえさんがOriHimeから抜けたとき。あれですべてが吹き飛んだ」と話していて、エクスカーションがセンターメンバーの先生方、参加してくださったみなさんに残した印象はとても大きかったことを物語っています。私もあの夜に受け取ったものが、なんだかわかっていないまま、そのままの形で自分の中に残っている気がします。

エクスカーションのことを思い出すとなぜか突然感情がぶんぶん振れて少々脱線してしまいましたが、現場では伊藤先生にマイクが戻っています。「(すべての分科会が)言葉のための議論じゃなかった、というのがとてもうれしかった。みなさんの経験や時間に支えられた言葉が出てきていて、それが一瞬で私たちの思い込みや先入観をスッと溶かしてくれました。

磯﨑先生は、この3つの分科会で出てきたお話について「自分が考えていることや書いていることが勇気づけられるようなお話だった」と話したのち、「あえてここで空気を読まずに流れを断ち切る」と前置きして、こう続けました。「“利他”を定義することの危うさ、“利他”の本質を言葉で捉えようとしてしまう、括ろうとしてしまうことの危うさ。そこをやっちゃいけないということを確認する3つの分科会だった。」

「あるのは結局“具体性”だけ」

磯﨑憲一郎
ここで伊藤先生が、この利他学会議中に「ずっと出てきていたもう1つの視点として、“外部の視点に立たない”というのがあった」と話します。「内側に入ったときには、定義するような視点は消えていて、中に入って具体的なものと出会いながら、そこで生成されていく自分、関係、行為みたいなものに任せていくことが利他なんだな、と思いました。」

「外側からの管理的な視点からいかに離れるかが勝負」

伊藤亜紗
この件については最後に國分先生が「定義しないで利他を論じてきたというのは、非常に面白い問題」だと話します。哲学者のジル・ドゥルーズ(1925-1995)とピエール=フェリックス・ガタリ(1930-1992)も、『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症』(河出書房新社、1986)を書いていたときに「同じ概念を全然違うようにそれぞれ理解していたことが、だいぶ進んでからわかって『わはは』となった」そうで、つまり「定義をすり合わせて作業していたわけじゃなく、それが何か面白いものを生み出した」ということです。

國分先生は「実はこの利他研究会も完全にそういうふうになっている」と話します。「“利他とは何か”を最初に定義して、そこから派生する問題を扱う、ということは全然やっていない。利他研究会が始まってからずっと思っていたのは、ある意味で、かなり早い段階で答えが出ちゃっていた、あるいは答えを知っていた。」そしてその大きな答えの1つとして、この利他学会議でも何度も出てきた「自他のあいまいさ」を挙げます。

自他のあいまいさ、差異と同一性

「自他のあいまいさ」、つまりどこまでが自分でどこからが他者か、自分や他者の境界はどこにあるのか、というのは、これまでの研究会でもさまざまな角度で論じられてきた問題の1つです。「何をやっていても出てくる」というこの問題について國分先生は、「概念的な問題追及が要らないかというとそういうことではなくて、それをどう問題化し、具体性に適用していくかを模索してきた」と話します。

「たしかに最初から使っている語彙は変わっていない。偶然性、自他、そして定義できないという話も最初の会議で出ていたと思います」と話すのは伊藤先生。私もそう思います。さらに伊藤先生は続けます。「でも同じ言葉を使いながら、違うことを話せてる感じがすごくあります。もともとあったツールを磨くことができてきて、違う連環で使えるようになった。“自他の境界がなくなる”というフレーズも何万回も聞いたという感じもしていて、全然目新しさはないんだけれども、今回何か違うものを捉えた実感だけはありました。そこをちゃんと言葉にしたい。」

ここで伊藤先生は「境界がなくなること」から連想される「一体化すること」について話し始めます。「エクスカーションでさえさんと砂連尾さんの関係があまりピッタリいっていないほうがお互いに信頼できる、という話も出ていましたが、適度にズレていて“間が合う”というような出来事が起こっている状態のほうがうまくいくのかもしれません。適度にぶつかったほうがお互いのことを探れるし、その分情報が入ってきて、自分にもフィードバックがあって変化することができる。

「(自他の関係において)何らかの不快感が結構大事なのかな」

伊藤亜紗
國分先生、伊藤先生の発言を受けて、中島先生は「差異と同一性は、つねに絶対矛盾しながら何かを生み出す関係にある」と話します。これは例えば「この人の気持ちすごくわかる!」(同一性)と思って好きになるかと思ったら、「自分には絶対にできない」ことをやる人(差異)を見て好きになることもある、といったことですね。たしかに自分の中にこういう絶対矛盾が大量にあるのがよくわかります。また中島先生は「自他の区別がなくなる」ことは、全体主義につながるとても恐ろしいことだと言います。

「全体主義の恐ろしさを断ち切りながら、しかし個が孤立しているのでもないような、新しい自他の状況を考えたい」という中島先生に、若松先生は「個と全体性について語られた物語」として、宮沢賢治の『注文の多い料理店』(盛岡市杜陵出版部・東京光原社、1924)を挙げます。心理学者の河合隼雄(1928-2007)は、この物語について「何かを食べに行ったら食べられそうになる話だが、同一化するということはあれくらい恐ろしいこと」と話していたそうです。

また若松先生は、この利他学会議で唯一欠けているものがあるとしたら、それは「物語」だった、と話します。「事実の連続ではなくて、物語というある流れの中でしか捉えきれないようなもの、それをもう少し探究する余地がある。」さらに、波の中で滴が失われない状態を私たちは目指さなきゃダメなんだ、という岡倉天心(思想家、1863-1913)の言葉を引いて、「私たちが利他を考えるときに、とても大きなヒントがそこにある」と話しました。

類似性という希望、そして共感

差異と同一性、自他の区別がなくなることの恐ろしさ、個と全体性、と数珠つなぎに展開していくなか、國分先生が「類似的他者」という概念を提示します。哲学は20世紀以降、上記で中島先生が指摘したようなファシズムの経験から、「自」にフォーカスして「同一性」に向かうことを恐れ、「他者性」すなわち「異なるもの」ばかりを取り扱ってきたそうです。しかし改めて自他の区別のあいまいさを考えるとき、このどちらでもない方向性を考えなければならない。そこで國分先生はここ数年「類似的他者」を提唱しているそうなのです。

この「類似的他者」とは、自他を区別するにあたって、「自分と違うところ」に他者性を見出すのではなく、「自分と“似ている”からこそ、自分にとって他者として感じられる」という概念です。つまり鳥も隣に住んでいる人も同じく自分にとっては「他者」だけど、鳥よりは隣人のほうが自分に近い形で世界を認識しているように思える。だからこの場合は隣人のほうが「他者として、より機能する」。というふうに、「類似性を強調すると、他者概念を変数化することができる」。

「“類似性”が他性と自己のバランスをうまくとる原理にならないかな」

國分功一郎
ここで伊藤先生が、國分先生に「“類似性”をどういうふうに見出したらいいか」について尋ねます。「政治的な立場や経験の違いがあまりにも大きく摩擦が大きい他者と、どういうふうにやっていったらいいのか、というのは全然答えが出ていない問題です。コロナが蔓延してみんな感染するかもしれない、という“類似性”を獲得したかと思いきや、それはあまり機能していません。死・病気・弱さ、というものは“類似性”として機能するのか、しないのか。」

「すごく歪な形でしか、人々は社会のなかで類似性を見いだせない」と國分先生は言います。この背景には「あまりにも社会が複雑化して、自分で確信をもって言えることがみんな全然なくなっちゃってる」ということがある。手軽な情報が溢れかえっていて自分で考えて判断する機会がない。そこで陰謀論や分断が人々の心を掴んでしまう。「そんなに歪ではない類似性を感じる出会いや機会が、もっと社会に用意されていいはずだと思うんです。」

以前、國分先生が昨今の「分断」の定義のおかしさについて書いたとき、中島先生がそれを取り上げて、「社会のなかには必ず意見の不一致があって、それを前提にした上で一致点を探っていくのが政治」と述べたそうです。國分先生はこれを「ありがたかった」と話していますが、一方、中島先生はこのときの件について次のように話します。「(アメリカ大統領選で)トランプ側とバイデン側で徹底的な分断が生じているという議論があるが、この分断こそが政治の契機である、と國分さんはおっしゃった。これはずっと自分も考えてきたことで、“なぜ自分が政治学者であり続けようとしているのか”という根拠のところでもあります。」

中島先生は、宗教学的・文学的で人文科学に近い著書も多く、センターの研究会でも、インドや仏教のお話をたくさんしてくださいます。それでも中島先生が政治学者であり続けようとしている理由について、おそらくセンターが始まって以来、初めて中島先生が話してくれました。「“人ってそう簡単に分かり合えない”ということを前提としよう、分かり合えないからこそ、どういうふうに合意形成をし、ルールを作るかを考え、違う人たちとなんとかやっていける社会をつくろう、という学問が政治学です。世の中になぜ“政治”というものがなければいけないのか、ということに繊細であろうという思いが、自分が政治学者に留まろうとしていることにつながっています。」

「分かり合いたい、が根っこにあるがゆえにそうならない人間をちゃんと見つめておきたい」

中島岳志
続けて中島先生は「共感を利他の契機とすることの危うさは、センター発足当初から語られてきた」と話します。そこで伊藤先生が「共感」は、「相手の立場や状況を理解した上で起こる“認知的共感”」と「ネット社会でよく起こる瞬間風速的に起こる“感情的共感”」に分けて語られることが多いことを提示。ここでテーマは、共感と切り離しにくい「感情」という問題に入っていきます。

感情とは何か

あるとき東工大生が「僕、もう感情は必要ないです」と伊藤先生に話したそうです。感情を持て余していて、どうしたらいいかわからないのだろう、と先生は思います。「制御しないことが“利他”だ、という話もありましたが、例えば彼は本気で制御しきれないもの、自分を襲ってくるものとして“感情”を捉えている。感情というものをどう扱うかについて、みなさんにお聞きしたい。」

感情は、自分で認識不可能である側面が多分にあって、了解可能なのはほんの氷山の一角にすぎない。感情を了解可能なものとして扱うことを、私たちはとても注意しなきゃいけない」と若松先生は言います。また、この利他学会議でもくり返し出てきた「つながり」という言葉について、次のように話します。「“こころ”だけでつながっている、とは言いません。だけども、“こころ”が人と人をつなぐ重要な何かだということはわかります。私たちが感情を手放すということは、自ら“つながり”を分断するということになりかねない。もっと慎重に、ゆっくり考えていい。私たちはもっと迷っていいし、もっと謎めいたなかに自分を置いていいんです。

伊藤先生がここで、三宅美博先生のお話に出てきた「のりしろ」について、「感情もこの“のりしろ”的な部分なのかもしれない。必ずしも自分の中から生まれてくるものではなく、人と人の間にあるものでもあるような気がします」と話すと、若松先生は次のように言いました。「詩歌を作る人は、自分の感情を書くんじゃないんですよ。万葉集や古今和歌集の時代にはより明らかで、たとえば柿本人麻呂が詠んだ歌は、柿本人麻呂が考えてたことじゃない。」

「自分がうつわになって、何者かが宿ったときに詩を書く」

若松英輔
「感情に了解不可能性があるというのは言うまでもないかもしれないけれども、意外と理解されていない」と國分先生は話します。自分は、自分がどういう状態なのかあまりよくわからない、と言う先生は、さらに「自分の中で起こっていることをうまく解読できない」ことについてこう話します。「自分の声を聞くことにすら、ある種の記号性が入っていて、そこには他者性が入り込みます。それをうまく解読していかなきゃならないのですが、自分の“声”にも、どう解釈していいかわからない記号性があって、それは身体の訴えかもしれません。」

感じるための時間とうつわの関係

どうすれば、私たちは自分の声に耳をしっかり傾けて、それを受け取ることができるのでしょうか。それにはやはり「ゆっくり考える」ということが重要だと國分先生は続けます。「我々は社会経済的な問題によって、ゆっくり考える時間がない。ゆっくり考える時間がなければ、この研究会のキータームである“うつわ”になれないし、それを維持する時間も与えられていない。

消費社会の問題によって時間を奪われた私たちは、「誰もいないところで服を着てみて、『うん、ちょっといいな』と思ったりする」時間もない。自分にはまだ少し早いような背伸びした服を毎日着てみて、だんだんそれに見合う人間になっていく、似合うようになっていく、「それは本当にモノを感じる、ということ」。國分先生はこのお話を、労働者風だったショーン・コネリーが監督に高いスーツを買ってもらって変わっていった話を例にしてくださったのですけれども、こういう時間がないということは、何かを「感じる」機会をどんどんなくしているということ、と考えると、それは実に背筋が凍る話です。

「本当はもっと人間は楽しめるはず、感じることができるはずなんですよ」

國分功一郎
「感情」の問題は、政治学で今非常に重要だと中島先生は言います。討議デモクラシーと言われる民主主義において、熟慮された民意を政策に反映させる「熟議デモクラシー」が1つのモデルとなっていながら、実際に行われているのは「感情に直接訴えて敵味方をはっきりさせ、『あいつが悪いんだ!』と名指しすることで政治参加の動機を情念のほうから獲得していく」というやり方で、これが右派・左派の両方にあるポピュリズムとつながっている、というのです。これには本当に生きる気力を奪われるという実感がありますね。元気がなくなって、考える元気も勇気もなくなってしまいます。

中島先生は、この現状を生み出している最大の問題は「日本の労働時間の問題」だと話します。これについて國分先生は、古代アテナイの人々は政治参加していたけれども、365日休みなく仕事があって、そんなことができていたのは「労働」を女性や奴隷に任せて時間があった男性たちだった、というお話を挟みつつ、中島先生に全面的に同意。「時間がなければ民主主義はできない。それには労働時間を削る。それしかない。」

中島先生はそんな世の中において、このセンターのあり方への思いを次のように話しました。「スピード感がこれだけ重視されている世の中では、絶対に民主主義は成熟しないし、うまくいかない。研究スタイルもそういったものに侵されていて、今のやり方ではクリエイティブな研究は絶対にできない。“利他”を唱えながら、自分たちでその罠にはまってしまわないこと。ぼくたちが大切にしているのは、雑談をすること、計画しないこと、そしてアウトプットを前提としないこと。今、世の中で前提とされていることをひっくり返そうという大きなプロジェクトでもあります。」

「研究の中身とやり方を同時に作りたい。そこも最初にみんなで同意したところでした。いかに計画書的な、逆算の研究をせず、生成的にやるか、ということをやってきたと思います」と伊藤先生。そして「感情」については考えるべきことがたくさんあり、「理系のなかので感情の扱われ方に我々は不満を持っているし、理系の人たちも我々の感情の捉え方に不満を持っている。その接点をうまく見つけることが、実はいちばん理系と文系が協力すべきテーマなんじゃないかと思っています。」

「熟議デモクラシーって日本に存在したことあるの?」

磯﨑先生が投げかけたこちらの問いに、中島先生は『アメリカのデモクラシー』の著者、アレクシ・ド・トクヴィルの「デモクラシーがうまくいくために必要なのは、リーダーシップではなくタウンシップだ」という言葉を紹介。「民主主義は、行政や国家と個人の間にある中間領域が分厚く、そこでの公的信頼が厚いほどうまくいくので、指導者がいい人かどうかはあまり関係ない」という主張です。そういった民主主義が顕れている場所としてトクヴィルは教会を挙げます。そこでは宗教的な話だけでなく、「○○の河が汚れてるから、今度一斉清掃しましょうか」といったパブリックな問題も協議的・自発的に生まれる。こうした教会や地方自治などの小さい単位のところにこそ民主主義の根っこがある、というのが「熟議デモクラシー」の拠点になっている議論だそうです。
そう言われると、国としてはうまくいっていなくても、小さな集団ではありそうです。しかしやはりどんな大きさであっても、「時間」がなければ民主主義は発動しようがないということで、「労働」の問題と深く関わっていることはたしかですね。
さきほど「労働時間と民主主義」について触れた國分先生は、人々を「労働」に向かわせる動機について、今は「利益」一辺倒になり、「300~400年前に大事だった“名誉”みたいなものを大事にする感覚を、僕らは本当に失ってしまった」と話します。「人間が“利益”を中心に動くようになったのは17~18世紀頃からだという研究があって、それより前、人間はもっといろんな感情によって動いていた。“名誉”もその1つです。」

さらに國分先生が言うには、そもそも「働く」という言葉は、「側(はた)にいる人を楽(らく)にする」という意味で、自分がそういった事象に参加することの喜びがあり、誰かに言われなくてもやるという充実感を持てるもの、すなわち「ある種の“名誉”みたいな感覚を得ることができるものだった」。「利益だけが人間の感情を駆動する、というのをやめたほうがいいんじゃないかと思う。」

中島先生はここで、『ブルシット・ジョブ──クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店、2020)から「本来、労働とは“ケア”であった」という、著者デヴィッド・グレーバー(人類学者、1961-2020)の主張を引いて、「コンビニに配送する人、そこでレジ打ちをする人、そんな人たちを運ぶために電車を動かしている人が、いかに社会をケアしているか。私たちは、コロナによってそのことに気づかされた」と話します。「このことは“利他”を考える上でとても重要であり、またこの感情と“名誉”とは深く関わっていると思います。」

「労働の本質をめぐって、僕たちはもう一度見つめ直すことがある」

中島岳志
ここで少し余談ですが、Zoomでの研究会やこの度の利他学会議では、雑音が入らないように、基本的に話す人以外は自分のマイクを「ミュート」にして音が出ないようにします。しかしこのとき、伊藤先生が「気づけば全員ミュートを外している、というこの臨戦態勢。笑」とおっしゃって、ふと見てみると、たしかに誰もミュートにしていない! 議論が白熱してきた証拠ですね。さて、ではその盛り上がった現場に戻りましょう。

若松先生は、國分先生や中島先生が話す「名誉」について、「私たちの日常に近い言葉だと、これは“誇り”ということ」と話します。そしてこのあと、とても胸に残るお話をしてくださいまして、その部分を、ほぼそのままお伝えいたします。

「大学に入って間もない頃に、中島さんと『誇りを持てる職場にしたいんだ』ということを2人で話し合ったんです。そのときから、それは僕の心を離れない。誇りを持てないと、相当フラストレーションが溜まるんですよね。“仕事量が多い”ということはあまり私たちのフラストレーションにはならなくて、“誇りを持てない”ということは相当キツい。そして世の中にはそういう人がいっぱいいます。でも、“誇り”を取り戻さなきゃいけないっていうことを考える暇がないんだと思うんですよ。でも、もし“誇り”を取り戻すことができれば、自分に必要な分(のお金)というのも、わかってくる。そういうことが奪われているんです。」

「取り戻さなきゃいけないのは、お金じゃなくて誇りなんだ」

若松英輔
「これは中島さんがずっと論じてきたことですけれども、“誇り”、“名誉”、そして“物語”というのは、本当に大事だと思う」と國分先生。「それが変な方向に行ってしまった1995年的なものを踏まえた上で、自分がしていることに誇りが持てる、ということが本当に大事だと思う。それがなければあらゆるものが腐敗していくし、利他どころじゃない。」

血盟団事件、テロ、原理主義・・・と事件ばかりを追いかけてきた中島先生は、「僕は“ネガ”の研究をずっとやってきた」と話します。「こうなっちゃいけないよね、ということを書いてきたけれども、それと背中合わせのところに“可能性”がある。その可能性に手を伸ばしたい、けれども手を伸ばすとそこにはすごく危ういものもある。そのことを自分に突きつけるためにネガをやってきた。今、利他の研究で初めて僕は“ポジ”を書こうとしていて、それは自分にとって新しい道筋だけれども、実は同じことをやっているんです。」

「1995年ってのは何なの?」

ここでまた磯﨑先生が、ありがたい質問をしてくださいました。國分先生がおっしゃった「1995年的なもの」とは、エヴァンゲリオン、阪神淡路大震災、オウム事件、Windows 95・・・こういったものを受けて出てきた、新右翼やネトウヨにつながるような回路、ということ。また、中島先生によると、さらに遡って80年代にそのルーツとなる中曽根内閣や教科書問題などの出来事があって、それがポピュリズム的なものへと転換したのが95年なのだそうです。時の総理大臣がこの年に出した「村山談話」によって自虐史観が大きくなり、またそれに反発する声が同じ政府与党内から出るなどして、「新しい歴史教科書をつくる会」が結成される流れの起点になった年でもあります。

貸し借りについて。そもそも借りは返せるのか?

手に汗握る展開のなか、伊藤先生がここでアンケート結果を紹介します。2021年2月末ごろ、未来の人類研究センターでは、誰かを助けたり、何かを贈ったり、といった利他的行為をする若者が増えているという情報があるなか、実はその受け手となれる人が減っている、つまり、利他を受け取ることが人は下手になっていっているのではないか、という問題意識がありました。そこで、貸し借りや他者からの好意に関する意識について尋ねるアンケートをとりました。

伊藤先生が特にピックアップして紹介したのは、「人から優しくしてもらったことや、好きな人から『好きだ』と言われたことを素直に嬉しいと思えなかったことがある」という問いに対して、全体の約4割、15-29歳の若い世代だと男性は4割以上、女性は半数以上が「ある」と答えている、という点についてでした。その理由について見てみると、「男性は“自分の価値に自信がなく、資格がない”、女性は“何かしてもらうと、自分も同じだけ返さなければならなくなり、借りができてしまう”、とそれぞれ考えている傾向があります。」

これに対して、まず國分先生は「プラトンの国家は、『借りたものを返すことが正義だ!』って言う老人が出てきて、それに反論するところから始まってんだよな、というのを思い出しながら聞いていました。古代から“借りたものを返すのが正しい”ということが強い考えとしてあったんですが、現代人もまだそれに囚われているのか・・・」と話し、中島先生は「はっきりしているのは“受け取ることが下手になっている”ということ」と話し、プレ研究会レポートVol.1にも出てくる、マルセル・モース著の『贈与論』(1925)の話をします。

「贈与が循環していくためには、“与える義務”・“受け取る義務”・“(本人あるいは別の第三者に)返す義務”という3つの義務がある、とモースは言います。これらがぐるぐる回っているうちに富が大きくなり、人々の関係性が生まれ、社会全体が豊かになっていく。今“与えよう”という気持ちはあっても、“受け取る”ことが苦手になっている。これがこの循環をストップさせる大きな問題です。」

若松先生は、「借りたものを返す」というけれども、そもそも本当に返せるのか、という問題を提示します。「このアンケートを初めて見たときに強く思ったのは、死者に対する“返せない”という感情、実感でした。」若松先生にとって「愛」の経験は死者から始まっているそうで、つまり「返しようのない愛」が最初にあったそうです。「利他とは何か、を考えていくとき、“愛とは返済不可能なものである”ということを原点として考えていくことは、とても大事なんじゃないかと思います。意識しないところですでに受け取っている、ということを忘れてはならない。

未来の人類研究センターという「場」

アンケートについて最後に振られた磯﨑先生は、「パス、って言いたいところだけど、空気読まない感じで言っていいかな、ごめんね」と前置きして、次のように話しました。「好きな人から好きだと言われて喜べなかった、という選択肢を100人が選んだとしたら、僕はそこに100通りの理由があると思うんだよね。理由は100通りある、という前提に立つと、社会学的な分析、あるいは学問として成立しないし、社会はマーケティング抜きには成立しないものとして成立しているわけだけど、そうだとしても、未来の人類研究センターはね、その成立しないとこに立たないといけないような気が、僕はするんだよね。

「元も子もないところに立つ、それが未来の人類研究センター」

磯﨑憲一郎
「100通りの理由があると言うと元も子もないかもしれないけど、それは最初に言った“定義することの危うさ”、“結局、具体性しかない”、ということ。中島さんがさっき『すぐに成果を求めない』とおっしゃったけど、そういうものを思考する組織としてあったはずなのに・・・やっぱ、こういうアンケートとかとっちゃダメなんだよ。」

ここで全員が爆笑します。爆笑したのち、中島先生は「その100通りを考えるための指標、というものもまた必要で、この結果を数値に還元しないことが重要だと思う」と言います。「ここから出てきたものを、文学的に、あるいは一疋の物語として、どういうふうに考えるのか。あるいは、哲学的にどう消化していくのか。それが僕たちに与えられている役割なのかな、と思います。」

國分先生はこう話します。「僕も、磯﨑さんの言うように思います。100通りあるでしょ、って。還元しない、ということが重要。このアンケートの答えに、100人の現実を還元しないで、“こういう表出もされた”と捉えることが大事。」そしてこの後、磯﨑先生は、こんな「未来の人類研究センター」という組織ができることはとても恵まれているのかもしれない」と話し、國分先生は「研究会がね、いつも本当に面白いんですよ」と話します。「こういうやり方で、こうやって楽しく話すことが許されている。こういう場を許してくれていることに、本当に感謝したいなあ、と思っています。」

このイベントの名前を考えていて「シンポジウム」は避けたかった、と伊藤先生は話します。「利他学会議」という名前は、この会をどういう会にするかの話し合いの何度目かで、伊藤先生が発案した名前でした。「“シンポジウム”って言ってしまうと、登壇者がいて、それを聞いている聴衆がいて、対面しているという一列の関係。そうじゃなくて“会議”がよかったんですけれども、今日の午前中の塚本さんのお話を聞いて、『あ、なんか私、“打ち合わせ”したいな、と思ってたんだ、みなさんと』と思いました。」

言葉のための言葉をどんどん練っていくのではなく、「今後の具体的な行動方針をみんなで探りたい」と思っていたという伊藤先生は、この全体会も「打ち合わせしているな」という気分でいると話します。そこで「打ち合わせ、って雅楽の言葉ですよね」と國分先生。「“打ち合わせ”は、みんな自分の楽器をいじっていて、『お前ちょっと高いな』とか言って合わせたり、そういうことをやる場。だから“打ち合わせ”ってすごくいい言葉だなーと思います。」

さらにここで若松先生が「能というのはリハーサルがない」という話を始めます。「リハーサルはしないけど、でもみんなで早く集まって、ずーっと雑談してるそうなんです。そして本番1分前くらいになると、パッと黙ってスッと出ていく。雑談が最高のリハーサルで、いわゆる模擬演技みたいなことはしない。そうすることで、それが“芸”として生きていくんです。」

「この話と、利他が定義できない、っていう話はつながっているんじゃないかと思います」と話すのは中島先生です。「利他の根本は“事後的なもの”である、という話に帰結する。つまり、現在はすべて偶然であって、“今”が定義づけられるのは、圧倒的に“未来”から。今やっている行為が利他的であったということがわかるのは、ずいぶん先から見たときに目線で、やっている本人はとっさにやってきたものをただ打ち返しているだけ。“未来からやってくることに自分を開いている”ということと、永遠に“打ち合わせ”や“雑談”をすることはつながっていると思います。」

この後は、この5人の先生方の共著『「利他」とは何か』(集英社新書、2021)に触れたのち、2021年度に新しくセンターに加わる3人のメンバー(山崎太郎先生・木内久美子先生・北村匡平先生)を紹介、そして少し雑談が続いたあと、伊藤先生の「どうします? 終わらせます?」に続く一同爆笑ののち、「合宿の二日間、これで終わりにしたいと思います。みなさん、本当にありがとうございました!」という伊藤先生の言葉と、5人のメンバーのみなさんの一同礼、で利他学会議は幕を閉じました。
大変ニュートラルな温度感で始まったこの全体会は、途中で全員ミュートを外したあたりから、終盤に向かうまでのトルネードのような豪快なセッションは本当にワクワクするもので、この5名のメンバーのみなさんの「信頼」が形となって顕れたような、この流れを可能にするセンターの底力を目撃したような気がして、ただただ言葉にならない感情が押し寄せてきて涙を流す焚き火でした。この「打ち合わせ」に参加したみなさん、参加はしなかったけれども、ここで追体験してくださったみなさん、どうもありがとうございました。これからの未来の人類研究センターにも、どうぞご期待ください。