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    • 2021.03.12 Fri 10:47

    901ができるまで

    東京工業大学のとある建物の9階、晴れた日には窓から富士山が見える場所に、未来の人類研究センターの拠点があります。20202月にセンターが始動する頃、まずはこの居室をつくることからセンターのお仕事は始まりました。東工大の塚本研究室がデザインから必要な部品の発注に至るまですべて行ってくださり、また901で使用する本棚やテーブル、カウンター、照明なども、東工大OBの石川徳摩さん率いる石川製作所とともにすべて手がけてくださいました。こちらに、901が完成した2019331日の模様の映像を約2分にまとめたものと、塚本研究室の萩尾さんによるテキストをご紹介いたします。

    未来の人類研究センター 「雑談」の拠点整備計画とその空間的実践

    この計画のキックオフミーティングは、現場での顔合わせの数日後、大学近くの和食料理屋で行われた。センターの設立経緯や利他学についてのお話、お互いの研究活動についてなど、みんなで親子丼を食べながらリラックスした雰囲気で会話が弾んだ。その中でセンターの先生方が、海外の大学にはキャンパス内にカフェが点在し、コーヒー片手に友人や先生と気軽に議論できる場所があるが、うちのキャンパスにそういう場所が少ないという話をされた。利他学を考えるヒントは日常の中に多く潜んでいるから、ゼミや学会のようなフォーマルな場での議論だけでなく、「雑談」から創造的な話が生まれることは多々あるんですよ、と。建築学科の学生は、製図室という1人1つの机がある大きな教室に溜まって、夜な夜な設計課題について議論したり、作品集や雑誌を見ながらああだこうだいったりして日々過ごしているので、そういう経験から雑談の重要性は共感できた。利他学は広い概念で、小一時間のランチミーティングできちんと理解できたとは言えないが、とにかく「雑談」が欠かせないということは強く印象に残った。言葉自体は英語で「small talk」と訳されるが、その小ささ(人数)と緊張感の加減(相手)は実に様々であることに気づかされる。設計者の私たちとしては、デスクとオフィスチェアが並んだ単なる会議室を設計するというのではなく、友人とのお喋りから、外部から専門家を招いて行われるシンポジウムなど、人と人のコミュニケーションを軸とした多様な活動の支えとなるようなものをつくりたい。

    設計に取り掛かるにあたり、現場の診断から始めた。部屋の南側には腰の高さの水平連続窓と、斜めに隅切られた部分に縦長の窓がある。キャンパスを一望でき、晴れた日には富士山も見えるのだが、水平連続窓の前にはスチール製の大きなエアコンカバー、縦長窓のすぐ外には太い柱があって窓辺にはなんとなく近寄り難いし、隅切り部により部屋の平面がいびつな形になっている。このように部屋全体としてちぐはぐな状態という診断結果と、私たちの目指す「雑談像」はあまりにかけ離れていた。そこで、この解離に対する処方として、窓辺のもつ隠れた資源を汲み尽くすことで、雑談のきっかけとなる人の居場所をつくることを設計の方針とした。まず、強い日差しを柔らかく室内に取り込むため、窓の手前に障子窓を配する。眺望を最大限に楽しめるように、障子窓は折れ戸の形式とし、折りたたんで全て片側に収められるようにした。さらに、水平窓の前にはエアコンカバーの上に冷暖房の吹き出し口を仕込んだ大きな杉板のカウンターデスク、斜めの隅切り部の前には畳の小上がりを設えることで、身体の向きを窓辺に合わせた。小上がり背後の障子窓を観音開きにして開け放つと、プロジェクション用のスクリーンが現れ、スライドを使ったレクチャーや映画鑑賞などにも利用できる。斜めの向きに合わせてタイルカーペットを敷き並べているため、2,30人で大きく部屋を使う時には、この軸が中心となって一体感が生まれる。また、天板を杉で縁取ったテーブルを部屋の中央に置き、10人程度でのゼミや打ち合わせができるようできるようにした。出入り口のすぐ隣には腰の高さの本棚を設え、利他学をはじめとする書籍を並べる。イベント時の受付としても役立つだろう。こうした窓辺を起点とする処方を随所に施すことで、雑談という小さなお喋りから、未来の人類とは何かという大きな問いを巡って研究を行う拠点を整えることを目指し、2020年3月31に全ての工事が完了した。

    その約1週間後となる4月8日に新型コロナウイルス感染症の拡大により緊急事態宣言が発令された。大学への登校は厳しく制限された。同じ部屋に複数人が集まることを前提とする「雑談」は実現不可能となった。施工終盤にかけて感染が広がっていたため、ある程度想像できてはいたものの、顔合わせからから工事完了まで、長い間通い詰めてつくってきた部屋を使う機会が当分の間お預けになってしまったのは残念というほかない。しかし、対談のオンライン配信や、テレビ番組の撮影のスタジオとして活躍しているとセンターの先生方からお聞きし、空間がちゃんと使われているということに嬉しく思った。更に、番組の撮影スタジオという使い方に対する驚きもある。確かに、障子窓によって光が拡散され、舞台のような小上がりもあり、撮影のセットとしてはうってつけである。設計者として多様な使い方を想定していたものの、実際に使う人自身が空間を解釈して新たな使い方を見出したこと、その可能性に気付かされたことは設計者として大きな喜びである。「ここは会議室の想定しているので10人程度の打ち合わせに使うこと」という押し付けがましい一方的な設計者と使用者の関係ではなく、空間的実践を媒介として設計者(空間の表象)と使用者(表象の空間)が創造的な関係を結んでいるということではないだろうか。さらにこじつけかもしれないが、こうした設計者と使用者が互いを信頼する関係性と、「雑談」という他者とのコミュニケーションから起こりうる創造に期待する態度には共通性がある気もする。雑談の空間、設計と使用の関係を見直すことは利他学から建築学に通ずる思考のヒントになるかもしれない。

    東京工業大学 塚本研究室 萩尾凌