木内久美子さま、北村匡平さま
またまた長いあいだ、お待たせしてしまいました。
テーマがなかなか定まらず、悩みぬいていたのですが、そんなある晩のこと、食卓にアスパラガスが出てきました。グリーン・アスパラをニンニクとオリーブオイルで炒めただけのものですが、白ワインと一緒に食べると元気も出て、これで何か書けそうな気分さえしてきました。そんなわけで……
この食材との付き合いは思えば長く、すでに50年あまりになります。
私が子供の頃、一般の家庭で手に入るアスパラガスといえば、もっぱら瓶詰めになった白アスパラで、レタスなどと一緒にマヨネーズをつけて食べるのですが、ぐにゃぐにゃとして水っぽく、しかも子供の舌には馴染まない癖があって、おいしいと感じたことはありませんでした。
グリーン・アスパラガスが全国の市場に流通したのはその後、大学に進学した1980年代の初頭でしょうか、まず、この野菜が本来は緑色なのだと知って驚き、シャキッとした噛みごたえに新鮮な感動を覚えました。その後は意識から瓶詰めのアスパラが消えて、家庭でも居酒屋でも、バターで炒めたり、ベーコンを巻いて焙ったり、ひたすらグリーン・アスパラを貪る時代が続いたのです。
白色のアスパラガスと久々に――しかも瓶詰めではなく、生の野菜の姿で――再会したのは1992年のゴールデン・ウィーク、音楽関係の展覧会の準備と打ち合わせのためにドイツを訪れたときのことです。知人と食事を一緒にしたレストランで「ぜひ、試してみては」と勧められ、注文して出てきたアスパラガスのオランデーズ・ソース添えは、子供の頃に食べた瓶詰めとは似て非なるものでした。大皿の上には15cmを超える長さの、しかも親指ほどもある太い茎が四~五本、誇らしくピンと伸びた状態で盛り付けてあり、そこから立ち上る湯気がソースのバターやレモンの薫りと混じり合って、早くも鼻腔を刺激します。ナイフを真ん中に入れて、茹でたての一本を頬張ると、グリーン・アスパラの歯ごたえや新鮮さとはまた違う、柔らかな触感とともに、ほのかな甘味が口の中に広がり、それが、よく冷えた辛口の白ワインと絶妙に溶け合うのです。
瓶詰めの時代を第一期、もっぱらグリーン・アスパラを食べていた大学~大学院の時期を第二期とすると、ホワイト・アスパラの美味しさに――いささかオーバーな表現ですが――開眼したこのときに、今に至る私のアスパラとの付き合いの第三期(グリーン・アスパラも相変わらず好んで食べていますから、二刀流の時代とでも呼びましょうか)が始まったのです。
このときに、いろいろと新たなことも教わりました。きわめて早く茎が伸びるアスパラガスを白い色のまま育てるためには、太陽の光が当たらないよう、こまめに毎朝、茎のまわりに土を新たにかぶせる必要があること、そのためには当然人件費がかかり、おのずと緑色の同種と較べても、ホワイト・アスパラは高価になること、しかもドイツでは、この野菜が市場に出るのは、四月半ばから夏至を祝う聖ヨハネ祭までの二か月余りと決められており、そのため「アスパラガスのシーズン」を祝う限られた期間に、ドイツ人は皆、夢中でこの貴重な旬の食材を食べ漁るのだとか。言われてみれば、街を歩くと、スーパーマーケットにも、露店の野菜市にも、アスパラガスの束が大量に積みあがっていて、1キロいくらという単位で売られていたりするのが目につきます。
その後、在外研修でミュンヘンに留学した1997年の春には、白アスパラを買い込んでは、自分で皮をむいて、生ハムやサーモンなどとの組み合わせもいろいろと試しながら食べる毎日が続きました。今世紀に入ってからは、日本でもしばしば、――南半球の物産も入ってきているのか、季節も不規則に――スーパーマーケットの野菜売り場にホワイト・アスパラガスが並んだりすることがあるので、春のヨーロッパに出かけなければ絶対に出会えないというものではなくなっています。
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かなり突拍子もなくてへんてこな、しかも長い前置きになってしまい、申し訳ありません。アスパラガスの話から書き出したのは、実は食卓の上の野菜から、木内さんが書いていたプルーストの『失われた時を求めて』に連想が結びついたからです。
二十世紀の文学を代表するこの大長編、正直に告白しますと、私自身は十数年前に全体の約5分の2、『花咲く乙女たちの影に』まで読み終えたところで投げ出したままになっており、すでに細部の描写はおろか、全体の筋の展開や登場人物の名前さえもほとんど忘れてしまっている体たらくですが、今でも唯一、アスパラガスについて述べられたくだりだけは鮮明に覚えているのです。
今回、改めて本をめくりながら、その箇所を突きとめることができました。そこから考えたことは、ひょっとしたら、濱口監督の映画を題材に、非言語的コミュニケーションの持つ利他の可能性に感覚を研ぎ澄ます北村さんの議論にも緩やかに接続しうるような気もしますので、まずはプルーストの文章をそのまま引用しましょう。第一部『スワン家の方へ』の第一章『コンブレー』のなかの一節、少年時代の語り手が台所の調理場を訪れ、夕食の支度に精を出す召使たちの横で、出来上がりつつあるさまざまな料理に想像を膨らませる場面です。
けれども私が思わずうっとりしたのは、群青色とバラ色に濡れたアスパラガスを前にした時で、その先端には薄紫色(モーヴ)と空色が細かくちりばめられ、一方まだ畑の土で汚れている根元の方に下がるにしたがって、地上のものとも思えない七色の虹で少しずつぼかされてゆくのだった。こういった天上の色のニュアンスは、アスパラガスが実は美しい女たちであることを示しているように見えた。彼女たちは面白がって野菜に変身し、その食べられる引き締まった肉体の変装を通して、この生まれ出たばかりの暁の色、さっと描いた虹の図、青い夕べの色の消滅のなかに、貴重なその本質を見せており、私は夕食にアスパラガスを食べると、あとまでその本質を認めることができるのだった。この美女たちはひと晩中、まるでシェークスピアの夢幻劇のように詩的でしかも下品な笑劇を演じ続け、その芝居のなかで私の尿瓶(しびん)を香水の壜に変えてしまうのである。(マルセル・プルースト『失われた時を求めてⅠ』鈴木道彦訳、集英社文庫、262頁)
私の関心を妙に惹きつけ、のちのちまで長く記憶に残るほどの鮮やかな印象を及ぼしたのは、最後の一文にある「わたしの尿瓶を香水の壜に変えてしまう」という表現です。「美女たち」に喩えられたアスパラガスが「尿」を「香水」に変えてしまう。これを読んだとき、すぐさま私は「あのことに違いない!」と思い当たり、「ほとんどの読者は何を言っているか分からないまま、このくだりを読み飛ばすんだろうな」という変な優越感とともに、秘密を共有する仲間に対するような親しみをこの作家に感じたのでした。
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アスパラガスを食べたあとの尿が独特のにおいを放つのを、お二人はご存知でしょうか? これを「香水」に喩えるのはプルースト独自の感覚で、おそらく多くの人にとって、そのにおいは鼻につんと来るような、どちらかというと臭気といってもよいものだと思います。ただし、この事実に気づいている人はどうも、そう多くないようです。私自身にしても、妻に教えてもらうまで、自分の尿のにおいを意識することなどありませんでしたし、その妻にしてからが、指揮者の岩城宏之がエッセイでそのことについて書いているのを読むまでは、まったく気づかなかったと言います。
ところが、一度そのことを知ったが最後、アスパラガスの成分が化学反応を起こした尿の独特なにおいはそれまで意識したことがなかったのが不思議なほど、強烈に毎回鼻腔を刺激するものに変わったのです。たとえば、ある朝起きて、トイレで用を済ませると、覚えのあるあのにおいが漂ってくる。あれ、昨夜アスパラガスなんて食べたっけ?と考えると、たしか、オードブルに二つほど、グリーン・アスパラの小さなかけらが添えてあったことに思い当たるということもありました。それほど、あのにおいには他とは峻別される独特なものがあるというわけです。
この事実に気づいた私はその後、友人たちのパーティーやバーベキューの席でアスパラガスが出てくるたびに、クイズめいた質問をするようになりました。「その人がアスパラガスを食べたかどうか、一発で見分ける方法があるんだけど、知っている?」しかし、たいていの場合、正解を当てられる人は誰もいない。そこで私は「トイレに行けば、必ずわかるから」とぼかした言い方をして、その場がお開きとなるのですが、旅行などで宿泊をした翌朝、「昨夜の答、わかったでしょう?」と確かめても、相手は腑に落ちないような怪訝な顔をしているということが一度ならずありました。
こうした経験が重なって、これほど明らかなことになぜ皆は気づかないのだろうと、不思議な思いがわだかまるばかりだったのですが、最近になって、こちらも妻が、どこから情報を仕入れてきたのか、「アスパラガスの尿のにおいに関しては、生物学的に個人差があって、これを全く感じない人も多いらしい」ということを教えてくれました。
改めて正確な情報を調べてみると、世界的にこれが事実として確かめられたのはかなり最近のことのようです。アスパラガスの尿の臭気を感じない人がいることは昔から知られていましたが、その原因は特定のアスパラガスの成分を尿に生成する機能がその人にないことによるのか、それとが誰の尿にも含まれている特定の臭気を嗅ぎとる感覚がその人にないのか、二つの可能性のあいだで、結論を出そうという研究が長らく存在しなかったようなのです。そしてついに2010年代、ハーヴァード大学公衆衛生大学院の研究チームがヨーロッパ系のアメリカ人6909人の成人男女を対象にしたアンケート調査を実施、男性の58%、女性の61.5%が尿に含まれるアスパラガス特有のにおいを感じられない「アスパラガス嗅覚障害」であると割り出し、回答者の嗅覚に関係する遺伝子データを解析して、その結果を英国の医師学会誌に発表したのです(Sniffing out significant “Pee values”: genome wide association study of asparagus anosmia, British Medical Journal 2016;355:i6071所収)。これはヨーロッパ系のアメリカ人の統計ですが、今までの自分の経験からして、日本人においては、この割合はもっと大きくなるような気もします。
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ここでもう一度、プルーストの記述に立ち戻ることにしましょう。
さすがに作品研究上の画期的な大発見になるとまで自惚れていたわけではありませんが、知る人ぞ知るトリビアな情報を自分が掴んでいるような気がして、密かに得意がっていた私のおめでたい妄想は、今回の原稿執筆にあたって、一挙に吹き飛びました。
念のため、プルースト、アスパラガスという単語を入れてインターネットを検索すると、日本語でもドイツ語でもたくさんの記事がヒットします。よく考えれば当たり前のことで、紅茶に浸したマドレーヌの香りによって呼び起こされた回想の旅が全体の大枠をなすこの「匂い」の小説において、プルースト研究者がアスパラガスと香水の関係に注目しないわけがありません。
とりわけ今回、検索をかけて読むことのできたフランス文学研究者(金沢美術工芸大学教授)青柳りささんの論文『プルーストとアスパラガスとジェンダー : ジェンダーの視点から見た文学と絵画の相関性』(『女性学研究』19,大阪府立大学女性学研究センター、2012年)からは、『失われた時を求めて』のなかで、アスパラガスが嗅覚のみならず、マネの絵画とも結びついた視覚的モチーフとしても、大きな役割を果たしていることを教えられました。この野菜が発する匂いについても、この論文の中に、簡潔明快にこう書かれています。
神話のなかでアスパラガスは、ヴィーナスに結びつくと同時に催隠性があるともされ、実際には利尿作用がありその尿には独特の臭いがする。季節になると必ずアスパラガスを食していたらしいプルースト……(中略)……食物の匂い、山査子の香り、アイリスの香りがする小部屋(トイレ)の空気、あるいはシャンゼリゼの公衆トイレの黴臭い臭気等にとりわけ敏感であったプルーストの嗅覚は、アスパラガスを食した後の尿の臭いにもこだわりがあったはずである。「アスパラガスを食べた夕食のあとにつづく夜」の尿意とそしてその尿の独特の臭いというのは、子供時代のマルセルのアスパラガスにまつわる個人的で懐かしい経験に由来するものであり、アスパラガスにまつわる一番の思い出だったのだとも考えられる。
ところで、『失われた時を求めて』のこの一文は欧米において、プルースト研究の枠組みを超えても、アスパラガスと尿の関係を話題にする人々のあいだでは有名な言葉として定着しているようで、英国医師会学会誌に発表された上記の科学論文でもその冒頭に、ベンジャミン・フランクリンの「アスパラガスを数本食べただけで、我々の尿に不快な匂いが加わる」という発言と並んで、引用されているほどです。
この論文もインターネットで閲覧およびpdfのダウンロードが可能なので、走り読みしてみました。もちろん、ゲノムに関する専門用語も出てくる本論の大部分は私の理解の及ぶところではありませんが、アスパラガスの歴史や効能が述べられたパラグラフに、「尿のにおいを嫌って、この野菜を食べるのを控える人も多いのでは?」という推測が付されてあるのを読んで、ふと考え込んでしまったのです。
もし仮に、あのにおいを嗅ぎとる感覚が消えたとして、人はそのことを喜び、さらに積極的にアスパラガスを食べるようになるのでしょうか? アスパラガスに含まれた栄養分には癌を予防する効果もあるといいますから、今後の生命科学の発展を考えれば、健康増進のため、尿のにおいに対する個人の嗅覚をコントロールすることさえ可能になるかも知れませんし、この論文もそうした方向への今後の応用を示唆している気配があります。
この問いはこうも言い換えられるでしょう。そもそも、私はあのにおいが嫌いなのか? あのにおいを感じなくなったら、嬉しいと思うだろうか? 答はノーです。あれを意識するようになってすでに20年あまり、プルーストのように「香水」とまで思うことはありませんが、あの尿のにおいは、私のなかで単純な好き嫌いを超えて、アスパラガスを味わう経験の一部として、料理の味や口の中の触感と切っても切れない関係にあるのです。
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ここまで書いてきて改めて思うのは、「におい」というものが、きわめて個人的で生理的なものであるがゆえに両義的で扱いの難しいデリケートな問題を孕んでいるということです。
これまで私たちは、このリレーエッセイのなかで、言語能力や見ること以外の感覚が持つ表現と利他の可能性について、主に「聴くこと」に注目しつつ、論じてきました。木内さんは第5回『「憑依」と「乗り移り」――その媒体と訓練について』のなかで、「人間の感覚のなかでも聴覚はもっとも受動的であり、かつ人間の意思で完全には統御できないために、身体にもっとも驚きや動揺を及ぼす」「と同時に、聴覚は視覚や味覚、触覚よりも快楽に左右されないため、徳を学ぶことができる」というミシェル・フーコーの論を引きつつ、「聴取」による「省察」の訓練が「見ること」にも応用され、偶発的に他者との出会いを引き寄せる可能性を探っていますし、また、北村さんは続く第6回の『自己を組み替える「旅」』のなかでは「現代の映像文化における聴覚性」に着目し、さらに前回の『映画と利他——非言語的コミュニケーション』では「聴覚」のみならず「触覚」をも媒介にして「他者/死者と出逢い直すと同時に、自分自身に耳を傾けるようになっていく」ことで、観る者にも「他者に触れつつ自分にも触れているような一瞬」が訪れ、感性の「毛穴」が開いてゆく濱口監督の「マッサージ映画」の魅力について考察しています。
そうした流れのなかで、ふと、嗅覚という要素は他の感覚との比較においてどう位置付けられるのか、「におい」を伝える芸術表現にどのようなものがあるのかという疑問が脳裏をかすめたしだいです。たとえばですが、映画や演劇・オペラなどの表象芸術において、「におい」はどう表現されうるのか。台詞や語りで「におい」を描写することは別として、言語を介さずに、例えば視覚的効果のみを通して、観る者に「におい」を実感として伝えるのは、触覚に較べてさえ、かなり難しいのではないか。
さらに、「におい」の表現を芸術に取り入れることについては、こうした表現媒体との相性の問題に加え、「におい」そのものが独自の扱いにくさを孕んでいるからではないかとも考えられます。
においには二種類の漢字がありますが、「匂い」と書いたとき、私たちがイメージするのは花の芳香や、あるいは「フェロモン」という言葉から連想される香(かぐわ)しい異性の「薫り」でしょう。「匂い」は人を魅了し、惹きつけ、ときには理性をかき乱すような魔性さえ秘めていますが、一方で、「臭い」と書くと一挙に否定的な意味にひっくり返り、排泄物をはじめ忌避すべき対象のイメージにも結びつきます。また多くの人々に臭気として感じられるアスパラガスを食べたあとの尿がプルーストにとって「香水」となることからも分かるように、においの快不快については大きな個人差もあり、その人の生活環境や文化によっても受けとめ方はさまざまに異なっているのです。
しかも厄介なのは、このように個人的な嗜好にかたよりがある「におい」が一方で、好き嫌いにかかわらず、いやおうなく誰の領域にも侵入しうる遍在性を有している点でしょう。このことは、たとえば味覚と比較すると、よく理解できると思います。自分が嫌いな食べ物は口の中に入れなければ、その味を避けることができますが、たとえ他人が食べていても、同じ空間に身を置いていれば、嫌な臭いは自分の鼻に漂ってくるのです。
そしてまた、「私」はそのような「におい」を嗅ぎ分けて、好悪の判断を下す主体であると同時に、自分自身が特有のにおいを外界に放つ客体でもあるわけです。つまりは、私自身の臭いが周囲の人に嫌悪を感じさせる可能性もある。その感覚はきわめて生理的なものである以上、嫌悪感そのものを理性で抑えることは難しいでしょう(もちろん、それを言葉や態度に表すことの是非については、人道上・倫理上の問題が関わってきますが)。
「におい」をめぐる発言や行為がしばしば、学校生活における「いじめ」の発端や帰結となるのも、このような理由によるのでしょう。いじめの標的に浴びせられる「こいつ臭いぞ」という罵倒や嘲笑、あるいは鞄や机の引き出しに入れられる腐った食べ物――自分の少年時代を思い出しても、あるいは新聞雑誌や小説などを読んでいても、そうした例はいくつも挙げられそうですが、さらに、個人の発する「におい」は食生活や生活環境や社会風俗とも結びついているがゆえに、特定の階級や民族に対する蔑視や偏見、差別を発動させる媒体ともなるのです。
アナール派の歴史学者アラン・コルバンは著書『においの歴史――嗅覚と社会的想像力』(山田登世子・鹿島茂訳、藤原書店、1990年)のなかで、沼地の瘴気や死骸などの臭いに代わり、「社会に立ちこめる臭気がしだいに人びとの注意をひきはじめた」ことを「十九世紀の嗅覚史上に起った最大の出来事」として挙げながら、都市の貧困層が発する悪臭が裕福な市民層にとって忌避と恐怖の対象となっていった様を記述しています。
嫌な臭いをさせないということは、死人や罪人のようにくさい腐臭を放つ民衆から自己を区別できるということであり、さらには、そのような民衆のあつかわれかたを暗黙のうちに肯定できるということである。勤労階級の悪臭を強調し、彼らがそこにいるだけでその悪臭に染まるおそれがあると力説することは、結局、自己正当化のために恐怖感をいだくことにつながっていく。……ブルジョワたちは自分たちが抑圧しようとするものを貧民に投影するのである。彼らブルジョワは汚物と結びついた民衆像をつくりあげるのだ。おのれの小屋に糞まみれでうずくまっている臭い動物、というモデルができあがる。こうしてみれば、貧民の悪臭を力説する姿勢と、ブルジョワジーの内なる除臭の欲望とをきりはなして考えるほうが不自然であろう。(187頁以下)
こう述べつつ、コルバンは貧困層よりも古い時代から汚物と悪臭のイメージを転嫁された人々として「狂人」「売春婦」を挙げつつ、特に「ユダヤ人」に関してはその根強い偏見の例証として、十八世紀の政治家ピエール・ショヴェの「これらヘブライ人たちが寄り集まるところ、彼らが我がもの顔に横行する区域はどこでも、ひどい悪臭がただよっている」(191頁)という言葉を紹介しています。
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汚猥や排泄物のイメージとも結びついた悪臭への忌避感はしかしながら、最初から人間のなかにそなわる、ゆえに万人に共通するような本能だったわけではありません。そもそも、糞便の臭いを「悪臭」とうけとめる感覚も、自分たちを動物や民衆とは違う社会的存在に規律化したいというブルジョワの欲望が、疫病の感染防止に関する衛生学上の見地と結びついて醸成されたものにほかなりませんし、しつけがなされる以前の幼児を見れば、糞便が発する臭いへの嫌悪が後天的な要因に大きく影響されていることは明らかでしょう。
ジョルジュ・バタイユは、さらに大きな人類史のスパンから、糞尿への忌避感の起源を、腐敗しながら「におい」を放つ死体に対して人類が感じる恐怖との関係において説明し、「排泄物は悪臭ゆえに胸をむかつかせると、私たちは思っている。しかし、最初に私たちの嫌悪の対象になっていなかったら、はたしてそれは悪臭を放っていただろうか」(『エロティシズム』酒井健訳、ちくま学芸文庫、93頁)と問うています。
ところで、――これもバタイユが繰り返し述べているとおり――、禁忌の対象は、恐怖や不安と背中合わせになった根源的な魅力で人々を惹きつけるものでもあり、その意味で糞尿が放つにおいへの嫌悪感にも、文明化の過程で自分たちが克服した自然への望郷と畏怖が貼りついていると考えられます。
テオドール・アドルノとマックス・ホルクハイマーが共著『啓蒙の弁証法――哲学的断想』(徳永恂訳、岩波文庫)に述べていることも、この問題に関わっているのでしょう。みずからもユダヤ人であった二人の著者はその第V章『反ユダヤ主義の諸要素――啓蒙の限界』のなかで、ユダヤ人を悪臭を放つ存在と決めつけて嫌悪しながら、そのにおいを嗅ぎまわる反ユダヤ主義者たちの振るまいを次のように分析するのです。
匂いを嗅ごうという欲望のうちには、さまざまの傾向が混じり合っているが、そのうちには、下等なものへの昔からの憧れ、周りをとり巻く自然との、土と泥との、直接的合一への憧れが生き残っている。対象化することなしに魅せられる匂いを嗅ぐという働きは、あらゆる感性の特徴について、もっとも感覚的には、自分を失い他人と同化しようとする衝動について、証しするものである。だからこそ匂いを嗅ぐことは、知覚の対象と同時に作用であり――両者は実際の行為のうちでは一つになる――、他の感覚よりは多くを表現する。見ることにおいては、人は人である誰かにとどまっている。しかし嗅ぐことにおいて、人は消えてしまう。だから文明にとって嗅覚は恥辱であり、社会的に低い階層、少数民族と卑しい動物たちの特徴という意味を持つ。文明人にはそういう欲望に身をまかせることは許されない。(381頁)
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太古以来、人類の文明化のプロセスが最終目的地として目指してきたのは、無菌と無臭の世界だったのかも知れませんが、そのような実現しようもない見せかけの理想は排除の論理を駆動させながら、生物としての人類の本源から私たちをどんどんと遠ざけ、自然から疎外してしまう危険を孕んでいる――「におい」という視点から、『啓蒙の弁証法』全体のテーゼを言い換えると、このようなところに落ち着くのかなと思います。
ちょっと話が大きく広がりすぎて、今の私の力ではどうにもまとめようがなくなってしまいましたが、これを機に考えた「におい」「嗅覚」というテーマについては引き続き、その危うさ、両義性をも見据えながら、いろいろと想いを凝らしてゆきたいと願っています。