山崎太郎さま、北村匡平さま
(仮名順だと自分の名前がいつも最初に来てしまうので、今回は逆にしてみました。)
お返事がだいぶ遅れてしまいました。次の番を楽しみにお二人のエッセイを読んでいるのですが、実際に自分の番が回ってくると、決まって起こるライターズ・ブロック。毎度のことながらどう応答しようかと考えあぐねていて、反省したことがありました。それは毎晩のようにこのエッセイのことを考えて、ときには手元でメモをして、それでもなかなか書きだせないでいるのは、この短い文章のなかで、なにか一貫した議論を提示したいという、欲望が渦巻いているからではないかということです。これは極めて論文的な欲望です。
どうすればその欲望から書く行為を一度切り離して、書き始めることができるのか。そのヒントは身近なところ、このエッセイの体裁にあると気づきました。書簡形式です。
手紙とは書くその都度に、自己の一貫性を手放すことを要請する媒体のように思えます。
個人的なエピソードで恐縮ですが、私は手紙が好きです。高校生のとき、海外の高校生と文通をしていました。その経緯や詳細はここでは書きませんが、スウェーデンの女子高生とフランスの男子高生の二人とは数年にわたって文通が続きました。そのときのことを思い返すと、手紙とは実に不思議な媒体だと思うのです。当時、ヨーロッパとの国際郵便は片道が10日ほどかかり、返信が来るまでには最短でも1カ月、ときには2~3カ月返事がないこともありました。当時はコピー機がコンビニにまだなかった時代です(セブンイレブンによるカラーコピー機の導入は1996年)。自宅にはワープロもなかったので、手紙も含めすべてが手書きでした。ですので、自分の書いた手紙が手元に残らないのが普通でしたし、残そうという発想がそもそもありませんでした。
待ち焦がれる気持ちに反比例して、返信は待てど暮らせどやってこない。届かなかったのかもしれない、返事がもう来ないのかもしれない…。待つことを断念しようとして、数週間たったころにひょっこり手紙が届く。「わたし」は文通相手の返信のなかでは、いつでも少しだけ「変身」して戻ってきました。
「変身」という語をあててはみたものの、実際のところ、それがどんな「変身」だったのかを正確に把握できたことはありません。自分が書いた内容はおぼろげな記憶に変わっているし、手元に自分の手紙がないので、それを相手がどう解釈したのかを厳密にたどれないからです。受け取った返信にあるさりげない引用(「あなたは「~」と書いていたけれど…」)、問いかけ(「その~はどうなったの?」)、固有名詞(「~といえば、こちらでは~」)を頼りに、ぼんやりとコミュニケーションの場が取り戻される。文通相手に引用されパラフレーズされた「わたし」、「あなた」によってずらされ拡張された「わたし」としての「わたし」に引き受けてみること。そうするしかなかったのです。
もちろん、相手の誤読や読み飛ばしを感じたこともありました。ただ「わたし」と「あなた」とのあいだで、返信のその都度に、「あなた」に変身させられた自分に応じることを暗黙の前提とする文通では、書き手は自らの言葉の著作権を一度手放し、受け手に委ねることを要請されています。こうした放棄を前提とした手紙の往来/トラフィックにあって、「わたし」と「あなた」は互いをずらし拡張し合いながら、時間をかけて会話(conversation)というテクストの折り目を紡いでいく。どちらにもその全容が知りえないなかで、互いを巻きこみ、巻きこまれていく。これは手紙という媒体のなせる業だったといえます。
私の文通の場合、使用言語が書き手にとって外国語である英語だったことも、幸運でした。外国語話者を前にするとき、母語話者のなかでは自動的に言語の検閲が始動します。シンタックスが不自然、語の選択が不適切、比喩が無意味である…。他方、外国語話者のあいだでは、外国人であることや不完全にしか理解できないという分かり難さの分有によって、(多義性との決闘をたえず余儀なくされる、翻訳という領域を迂回しているかぎりにおいて)、間違いや確定できない意味への寛容さが生まれやすい。それも変身させられた「わたし」を受け入れやすくした要因ではないかと思います。
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「自」から「他」の越境には、様々な「あいだ」が介在しているようです。山崎先生が取り上げられていた、舞台と客席を一体化させるように感じられる沈黙もその一つですが、お二人に共通しているのは、まず音楽という、芸術のなかでも私たちの感覚にとって、もっとも直接的に働きかけるとされているジャンルでした。さらなる共通点があるとすれば、お二人とも音楽をたんに聴くという立場ではなく、模倣したり、あるいは分析的に楽譜をたどって演奏したりすることで、身体の訓練を介してより積極的に対象に関与し、いわば肉体化された経験を折り返して、ご研究や著作活動で言語化されているということです。このことはお二人を普通の観客とは区別させる非常に重要な点であるように思われます。
その一連のプロセスが、ミシェル・フーコーが1982年3月3日にコレージュ・ド・フランスで行った講義(『ミシェル・フーコー講義集成11』廣瀬浩司、原和之訳、筑摩書房、2004年)に少し重なるように思えるので、以下、かなり大雑把ではありますが、内容を共有させてください。
この講義の主な論述対象は古代ギリシアです。テーマとなっているのは哲学者による「自己への立ち返り」であり、自己実践の修練です。まず、フーコーは古代ギリシアの「自己」がキリスト教世界の自己とは異なることを明示します。後者では、告解によって自己を一度客体化した上で自己を放棄することが「自己への立ち返り」の修練だとされています(一例はアウグスティヌスの『告白』)。他方、古代ギリシアでは「自己への立ち返り」とは、自分を犠牲にしたり放棄することなく、むしろ強固に打ち立てるために、「本性上所有していない何かを身につける」自己実践であり、修練なのです。そしてこの修練は、フーコーいわく、「法への従属」(フーコー哲学では一貫してその内面化が問題視され、論述対象となっています)ではなく、個人を真理に結合させることなのだといいます。そのためには真理についての言説を知っているだけはだめで、自らに取り込み、その発話主体とならねばならないというのです。その修練の段階として、聴取、読み書き、語りの三段階が提起されています。
フーコーはプルタルコスやエピクテートスを引きながら、「聴取」を「受動的(パテーティコス)」であるとともに「ロゴス的(ロギコス)」なものとして特徴づけています。人間の感覚のなかでも聴覚はもっとも受動的であり、かつ人間の意思で完全には統御できないために、身体にもっとも驚きや動揺を及ぼすものだとされます。と同時に、聴覚は視覚や味覚、触覚よりも快楽に左右されないため、徳を学ぶことができるというのです。受動的な聴き手は知識の「借家人」にとどまりますが、徳を学べる聴き手は知識を自らに取り込む聴き方を心得ています。
このような聴取の態度は読み書きや語りの段階にも引き継がれます。第一にたくさん読みすぎてはいけない。哲学的な読書の目的は理論を理解することではなく、「省察」の機会を得ることです。興味深いのは、この語が今日の使用とは異なり、意味の探求や解釈、主体による思考への働きかけではなく、むしろ思考が主体に働きかけることによって、主体がある状況に身を置く訓練をすることを意味していました。さらに私的に書き、読み直すことで再び省察を行う――これは「ほとんど肉体的な」訓練でした。このプロセスを経ると、書くという行為だけで、思考している事柄を体内化できるようになるというわけです。そのもっとも有名な訓練が「死の省察」でした。それは死を思考対象とするのではなく、「死につつある人、これから死ぬ人、死の前の数日間を過ごしている人の状況に思考によって身を置くこと」、自らを放棄せずにその人たちに「なる」ことだった。このような「省察」のありかたは、古代ギリシアにかぎったことではなく、デカルトにまで通じていると、フーコーは述べています。このような世界では、自分自身についての真理ではなく、むしろ主体が真理の主体になる語りが要請されたのです。
不用意にも真理や徳といった語を十分に吟味せずに、アナロジカルな連想において古代ギリシアの例を持ち出してしまいました。フーコーによる説明は古代ギリシアの特殊性を前提としたもので、現代にそのまま応用はできないかもしれません。ですが今日の私たちが「憑依」や「乗り移り」を前にして、それを偶然性や出来事と名づける以上の何かとして語り始めようというときに、古代ギリシアの訓練は一つの参照項になりうるように思えます。つまり、対象が知識にとどまるかぎり、「憑依」や「乗り移り」は起こらない。たゆまぬ省察の訓練があって初めて、偶然性や出来事は歓待されているのだということです。
訓練というと難しいものに思えますが、私たちは日々そのような場面に接しています。ここでは他者との媒介を聴覚にかぎる必要もなく、他人を見ることからも、その状況に身を置こうとする訓練の可能性は多くあります。(他人が「分かる」とは書いていません。)最近、見ることを媒介として、知らない他者の立場に偶発的に身を置く経験を細やかに描いている映画に出会いました。6月8日に利他研究会のゲストでいらっしゃった深田晃司監督の「ほとりの朔子」(2013)です。そのような経験は作品の至る所にちりばめられていますが、特に印象に残ったのは、映画の最後のパントマイムのエピソードです。朔子と孝史という二人の高校生が、怪しげなカフェで半仮面をかぶった演者を見ています。演者が赤い風船を膨らませると、それは意志を与えられたかのように、動かなくなる。演者が力づくになればなるほど、風船は重量を増していくかのようです。そこで演者が急に風船から何かをちぎるような動作をして、口に含む。すると風船は不意に重力から解放されたかのように演者の手と共に舞に興じ始めるのです。そこで観客の一人の横顔を伝わっていく涙が映し出されます。それまで二人はきっとよく分からずにこの演技を見ていたはずです。それがこのまったくの他人の涙を通じて、二人は分からないもの、言葉にならないものに何かがあるのだと気づかされた。この観客はたんなる傍観者ではなく、風船に乗り移る隠れた演者だったのです。そして二人はこの涙のおかげで、何かの訪れに気づくことができたようなのです…。
「感じる者」として日々よく見聞きすること。これだけでも立派な訓練になりえます。
完結しない感じが否めませんが、今回はここまでにします。映画と演劇の違いについては、またの機会に。