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ウクライナのりんご 河村彩

2022.10.28

 2022年3月、連日ロシアによるウクライナ侵攻のニュースが報道される中、かろうじて攻撃を免れたウクライナの田舎の村の映像がテレビに映し出された。舗装されていない村の道を、ウクライナ軍の装甲車がのろのろと引き上げてゆく。沿道の家から両腕にりんごをいっぱい抱えた男性が現れ、装甲車に近づいて声をかける。「どうもありがとう、りんごを持っていってください。」一人の兵士が装甲車から飛び降りて男性の方に駆け寄り、りんごをつかんで引き返す。

 このニュースの映像を見て、ふいにロシアで過ごした時のことを思いだした。ロシアでは多くの人が郊外にダーチャと呼ばれる別荘を持っている。仕事を引退して年金生活に入ると年中ダーチャで過ごす人も多く、家庭菜園を作り、果樹を植えて食糧の足しにしている。都会の公共交通機関では、大きな荷物を抱えたダーチャがえりの老人をよく見かけた。席をゆずると、お礼にと、袋から取り出したりんごやなしを手渡されることがよくあった。ウクライナとロシア、同じような行動様式を持つ人々が暮らす二つの国が分断され、攻撃し合い、憎しみを募らせてゆくのは、なんと悲しいことだろう。

 ロシアやウクライナのりんごは、日本のりんごとは少し違う。日本のりんごは一つ一つが大きくつやつやとし、「紅玉」や「あきばえ」といった美しい名前が付けられ、スーパーの棚に燦然と並べられている。ロシアやウクライナのりんごは名もなきりんごである。小ぶりで、色も形も不揃いである。十分に赤くなっていないものもあれば、熟れ過ぎのものもある。傷がつき、鳥についばまれた跡があるものまで平気で店頭に山積みされ、キロ単位で売られている。カバンに入れて持ち歩き、昼食やおやつに皮のままかじる人もいる。命をかけてロシア軍を撃退した兵士に対するお礼としては、ウクライナのりんごはあまりにささやかな贈り物だ。

 ロシアに留学して間もないころ、まだ言葉がよくできなかった私は、ポジティヴな感情を表す単語をなるべくたくさんストックするよう心がけていた。きれい、楽しい、面白い、嬉しい、たのしい、美味しい——こういった表現は、複雑な文法を気にすることなく、すぐに使うことができる。ロシア人は概して感情をあまり表情に表さない。だが、すてきな場所に案内してもらったときや、食事に招待してもらったとき、とっさにこういう言葉を発すると、相手の表情が少し緩むのがわかった。ロシア語のたどたどしい自分にとっては、自分の感情を愚直に表す表現こそが、相手と通じ合うための最良の手段だった。

 ウクライナの田舎の男性が兵士に渡そうとしたりんごは、このような言葉と同じものだったのではないだろうか。命を助けられた男性にとっては「ありがとう」という感謝の言葉では足りなかったにちがいない。そのとき男性がとっさに手にしたのがりんごだったのだろう。りんごは、死や負傷を免れた男性の安堵感や、村を攻撃から守ったことに対する誇りといった気持ちを託され、男性から兵士へと手渡されたのだ。ウクライナの名もなきりんごは雄弁である。

 ロシアによるウクライナ侵攻を受け、友人の研究者とオンライン・ジャーナルを作りました。第一線で活躍している多くのロシア・東欧研究者たちが論考を寄せています。こちらで読めます。